レイキヒーリングとの出会い

私がレイキヒーリングという言葉をはじめて聞いたのは、1998年12月のことでした。

当時私はカラーパンクチャーという、体の経絡にペンライトで光を当てることにより、意識の変化をもたらすヒーリングのセッションを受けていました。

そこで2、3人が一組になり、バディグループを作ることになりました。

ここでバディとして出会ったもの同士は、お互いに相手を自分の潜在意識の鏡として向かい合うことで自分の心の中を深く掘り下げるという作業をするのです。

同時にセッションを受けている人たち約20名の中で、名前の書いてあるカードを引いてバディの組み合わせが決まって行きます。

私の名前のカードと組み合わされた相手はTさんでした。

ここで初めて出会った者同士ですから、互いに自己紹介をしました。

私は2年ほど前まで働いていましたが、過労のため体を壊し、病気休職中であること、一歳児の息子がいることなどを話しました。

Tさんは普段はサラリーマンで、趣味は音楽であること、そしてレイキヒーリングのティーチャーであることなどを簡単に話してくれました。

ここで私ははじめてレイキヒーリングというものの存在を知ったのですが、最初は「レイキ?何それ?」という感じでした。

精神世界に無知な私は「レイキ」という言葉自体に何かうさんくさそうなイメージを受けてしまったのです。

自分の潜在意識の鏡であるバディがやっていることだから、機会があれば話でも聞いてみようという程度の印象しか受けませんでした。

後日レイキヒーリングについて詳しく聞くことができました。

簡単に説明をすると、

  • レイキヒーリングにはハンドヒーリング(レイキI)と瞑想による遠隔ヒーリング(レイキII・III)の 2種類があり、
    どちらもレイキティーチャーにアチューンメント(調整)をしてもらえば誰でもできるようになる。
  • ハンドヒーリングは、自分自身あるいは相手に手を当てて行うもので、自分自身がレイキのエネルギーを通すパイプになる。
    だから自分は手からレイキのエネルギーを出していればよいわけで、相手の何か悪いものを受けて具合が悪くなってしまうようなことはない。
  • 遠隔ヒーリングはシンボルとマントラを使って行う。これで遠くにいる人にヒーリングを送ることができ、それと同時に相手の情報を受け取ることもできる。
  • 遠隔ヒーリングは時間空間を越えて使うことができる。過去の自分や相手、出来事にも送ることができるし、未来の願望成就にも使える。
    また、亡くなった人にも送ることができる。
  • レイキヒーリングは一度アチューンメントを受ければ、一生行うことができる。
  • この方法は明治時代の臼井先生という方が、京都の鞍馬山に籠もって21日間断食瞑想した末に天から与えられたもので、
    それが欧米などに伝わってから、近年日本に逆輸入の形で広まってきている。

Tさんはレイキヒーリングを通じて内面の気付きをいろいろと得てきたようです。

それで私も、レイキティーチャーであるTさんからレイキヒーリングを習うことになりました。

レイキヒーリングを習う

1998年3月17日にレイキIのハンドヒーリングを習いました。

ハンドヒーリングは読んで字のごとく、手を当てて行います。

はじめにレイキヒーリングについて今日に至るまでの流れを聞き、ヒーリングの仕方を教わります。

そしてアチューンメント。

これはチャクラを調整するらしいのですが、受け手は目を閉じて座っているので具体的にどのようなことをしているのかは分かりませんでした。

アチューンメントが済み、ハンドヒーリングの練習をした後で、私自身が全身のハンドヒーリングを受けました。

ヒーリングが終わって起き上がったときの爽快だったこと!

頭はスッキリ、体は軽く空気になったような感じでした。

こんなにスッキリするヒーリングがアチューンメントを受けただけでできるようになるなんて!

Tさんから少なくとも21日間は練習するようにといわれ、さっそくその晩から寝る前に自分自身に手を当ててヒーリングをするようになりました。

翌週の3月24日にはレイキIIの遠隔ヒーリングを習いました。

レイキIIでは瞑想に使うシンボルとマントラを3つ教わります。

レイキIIのアチューンメントを受けた後、さっそく遠隔ヒーリングの練習を行いました。

まずお互いにヒーリングを送る側と受ける側になります。

自分がヒーリングを送る側になってみると、確かに相手の情報と思えるものの感じが受け取れます。

ヒーリングを受ける側になり、目をつぶって横になると、フワフワと柔らかく暖かい空気に包まれたような感じになりました。

その後Tさんから私にヒーリングを送って感じた情報を聞いたらそのときの私の状態にピッタリの内容で、しかも生理中であることまで当てられてしまいました。

その場にいない人にもヒーリングを送りましたが、Tさんは会ったことのない人の状態も的確に感じたことを答えます。

ウーン、すごい!

他にも過去の自分へのヒーリングや、未来の願望成就の方法を教わりました。

遠隔ヒーリングの瞑想も21日間は練習を続けるようにといわれ、私は毎晩レイキの瞑想をするようになりました。

レイキヒーリングを試してみたら

レイキヒーリングの瞑想を毎晩するようにしたら、確かにいろいろ感じるようになりました。

その中で特に印象に残っているのは、自分のハートにとても大きな傷がついているのを見てしまったことです。

「私のハートにこんな大きな傷がついているの?」

ビックリすると同時にハートの痛みを強く感じました。

でも1歳の息子が小人になって私のハートによじ登り、一生懸命縫いつくろってくれている姿も見えるではありませんか。

瞑想しながら息子の存在にとても感謝をしました。

当時私はある治療法を習っていて、何人かの人にそれを施す機会がありました。

なので、さっそく縁のある人たちにレイキヒーリングも試してみました。

体に手を当てると手が熱くなり、レイキが流れます。

レイキを受けた人は体の中に何か流れるのを感じるようです。

長い年月をかけて練習したわけでもないのに、全身をヒーリングしたあとには「スッキリした」「体が軽くなった」などといわれました。

妊娠中のお母さんに施すと、お腹の中の赤ちゃんの様子や大きくなったお腹を抱えてひざがつらくなっている様子なども分かりました。

レイキヒーリングを行うようになって2ヶ月たった頃のことです。

母の友人の娘さんが流産したと聞き、私は21日間連続で流産した赤ちゃんに遠隔ヒーリングを送ることにしました。

一日目のことですが、に遠隔ヒーリングの瞑想を始めたら、首の周りに何かつらいものを感じました。

その後流産した赤ちゃんと意識がつながり、

「ママ、心配しないで。ボクは今静かでいい世界にいるから。ボクはこっちの世界にいるほうがいいんだ」

というメッセージが伝わってきました。

翌日母にこのことを伝えたら、亡くなった赤ちゃんには首の周りにへその緒が巻きついていたとのことでした。

瞑想中に首が苦しくなった理由が分かりました。

流産して入院中の娘さんとそのお母さんに電話で赤ちゃんからのメッセージを伝えたら、悲しんでいる気持ちをやわらげる手伝いができたようでした。

その後毎日流産した赤ちゃんに遠隔ヒーリングを送り続けたのですが、赤ちゃんがママのことを好きだった気持ちや、ママがパパのことを怒ってしまうのがつらかったことなどが伝わってきました。

そして最後の21日目には私に「ありがとう」と礼をいってくれました。

軽い気持ちで始めたレイキヒーリングでしたが、この頃からレイキの偉大さを実感するようになり、私の心の中で真剣に取り組んでみようという意識が芽生えてきたのです。

レイキIIIを受ける

レイキIIを受けた約4ヶ月後の7月30日にレイキIIIを受けることになりました。

レイキIIIではヒーリングのパワーをさらに高める4番目のシンボルとマントラを教わります。

Tさんから第4シンボルの意味と使い方の説明を聞き、アチューンメントを受けることになりました。

レイキI・IIのときと同様に、アチューンメント中はただ座って目を閉じているだけでしたが、私は強いエネルギーとともに第4シンボルが輝いているのを感じました。

この日から遠隔ヒーリングを送るときには今までの方法に第4シンボルを加えることになりましたが、その後私にとっては大きな変化が次から次へとやってくるようになりました。

臼井先生との出会い

レイキIIIをうけて8日後の8月7日、私は顔を出していたマクロビオティックのお料理教室でUさんとMさん(66歳)という二人の女性に出会い、一緒にお茶をすることになりました。

Uさんが始めた話は偶然にもレイキヒーリングについてでした。

Uさんは、レイキヒーリングを事業にしているある会社の社長が、レイキを仕事にするのをやめたいが会社でやっているのでやめるにやめられず、Hさんという方に相談した、という話を始めました。

Hさんはそのような気持ちでやっているのならやめたほうがよいのでは?という話をし、社長から臼井先生の写真をもらってきたらしいのですが、後日Mさんと会ったときにそれを手渡したそうです。

HさんがMさんに臼井先生の写真を渡したのは、Mさんがヒーリングを通してお金をもらいたいという執着心を手放しているのを感じたから、ということでした。

その時不思議な変化が起こったそうです。

Mさんが臼井先生の写真を手にした瞬間、写真の中の臼井先生の表情が柔らかく微笑むように変わったとのことでした。

Uさんがいうには、レイキは本来愛のエネルギーそのものなのに、今のヒーリング業界ではお金のエネルギーで滞ってしまっていて、臼井先生もそれを憂いているからでしょう、とのことでした。

Mさんは臼井先生の写真を手にしてから、習ってもいないのにレイキのハンドヒーリングができるようになったそうです。

私もその場でMさんに手を当ててもらいましたが、その手はとても温かく、しかも手のひらには金粉が出ていました。

その日の晩、寝る前にレイキの瞑想をしながら今日聞いた話を思い返しました。

臼井先生の写真の表情が変化した話を私が聞く機会を得たのはどういう意味があったのだろう…。

すると、瞑想中の私の目の前に臼井先生が降り立ったような波動を感じ、「正しいレイキを伝えたい」というメッセージが伝わってきました。

これが私にとって初めての臼井先生との出会いでした。

後日レイキの瞑想をしているときに、Mさんの持っている臼井先生の写真を実際に見てみたいという思いが湧いてきました。

Mさんはヒーリングを仕事にしている人ではありませんでしたので、とくに親しい間柄でもないのにこのようなことで時間をとっていただくのは失礼かなとも思いましたが、やはりどうしても臼井先生の写真を見たいという思いが消えなかったので、Uさんにお願いして三人で会う機会を作ってもらいました。

約1か月後の9月3日、私はUさんとともにMさんのところへ行きました。

Mさんは夫婦で電器店を経営していましたが、とても気さくな性格の方で、体の具合が悪い人がいると2階にあげてヒーリングをしているそうです。

私も2階にあげてもらい、そこで臼井先生の写真を見せていただきました。

写真の中の臼井先生の表情は柔らかく微笑んでいました。

その写真を手にしたら、写真から私の両腕に強いエネルギーが入ってくるのを感じました。

とてもビリビリときます。

そのうちに頭頂部が開いたような感じになり、手のひらはとても熱くなりました。

なんだかエネルギー的にすごいことが起こっているようです。

私は熱くなった手でヒーリングがしたくなり、3人でその場でヒーリングをしあうことになりました。

臼井先生のお墓は東京都杉並区にあると聞いていたので、9月9日、案内してもらってお墓参りに行きました。

しかしあまりにやぶ蚊が多くゆっくり立っていることができなかったため早々に引き上げ、家に帰ってから瞑想しました。

その時私が見たものは、自分自身が白い光の球になっている姿でした。

人間は肉体を持っていますが、本来は光そのものなのだということを実感しました。

レイキティーチャーを志す

レイキIIIを習ったあとに臼井先生との出会いを経て、私はもっと深くレイキヒーリングのことを学びたいと思うようになりました。

それには私自身がレイキティーチャーになることが最善の方法だと思い、Tさんに伝えました。

Tさんはレイキティーチャーコースを半年間かけて学んだそうです。

その内容を私に数ヶ月かけて教えてくれることになり、Tさんが人にレイキヒーリングを教えるときは私もその場に加わり勉強させてもらうことになりました。

11月11日に起きた出来事です。

私はレイキティーチャーコースの内容を何度か学び、その日も教えてもらうことになっていました。

しかしその日にTさんが39度の熱を出してしまったのです。

レイキティーチャーの勉強は急遽変更になり、私がTさんをヒーリングすることになりました。

寝込んでいるTさんに何のヒーリングをするのがよいか尋ねたところ、以前私がやっていた療法を、と頼まれたので、喉の辺りを中心にそれを行なっていましたが、私の耳に「レイキにしろ」という声が聞こえてくるような気がしてなりませんでした。

しばらく続けていましたがどうしてもそのメッセージが気になるのでそのことを告げ、レイキのハンドヒーリングに変更したところ、Tさんが全身から汗をかき始め、高熱でつらそうな様子から見る見るうちに楽になってくるのが伺われました。

その後食欲も回復して夕食も全て食べ、翌朝には36度台の平熱にもどったとのことでした。

私にとってレイキのパワーのすごさを実感させられるような出来事でした。

この頃になると私は特に瞑想をしなくても、臼井先生とつながる体験をするようになっていました。

Tさんと、その仲間のレイキティーチャーSさん、そして私の三人で蕎麦屋さんで昼食をとっていたときのことです。

私たちはヒーリングを商売にすることをどう思うか話し合っていました。

Tさんが「自分の心の中の問題を整理しないで仕事にしても、相手を自分の鏡として引き寄せているばかりできりがない。自分の問題を相手に投影して癒すより、自分自身の心を整理するほうが大切だよね。」といったときのことです。

それを話すTさんの傍らで、臼井先生が優しく微笑んでうなずく姿が見られました。

臼井先生は、レイキヒーリングやそれに関する気づきについて考えたり話したりしているときには優しく見守ってくれているような感じがします。

私がある人をハンドヒーリングしているときに感じたことです。

いつものようにレイキのパワーで手がとても熱くなりました。

私は何気なく「この熱さはどこから来るの?」と疑問に思いました。

すると「セントラルサン」という答えが返ってきました。

(レイキIIIまで習っている人は「セントラルサン」のところに第4シンボルをあてはめてみてください。)

しかしこのセントラルサンとは三次元的な、どこか遠くにある宇宙の中心太陽を意味するのではなく、自分のハートにある状態のことをいうのです。

つまり、自分のハートと宇宙の中心太陽を一致させて、自分のハートから宇宙の中心の光が放出されている状態でヒーリングするのです。

一般的にはレイキヒーリングをする場合、レイキのエネルギーが外部から来て、自分はパイプとなってエネルギーを通すといわれていますが、私が感じたものはそれとは違うものでした。

そのことをレイキティーチャーの友人に伝えて試してもらったら、自分をパイプと思って行うより、ハートから光が放出している状態をイメージしたほうがヒーリング効果が高かったそうです。

しかも宇宙の無限のエネルギーとつながった状態にあるのですから、相手の具合の悪いものを自分が受けないことも、これで納得できます。

このようなことをしているうちに気がついたら年を越して2000年になり、私もTさんも他の精神世界などに興味を惹かれてレイキティーチャーの勉強をしばらく中断するようになっていました。

臼井先生に「最近レイキティーチャーの勉強がはかどってないんですけど…」

といったところ、他の世界を見てそこから得た気付きは大切にしなさいということと、私は論理的に詳しく説明するよりも、感覚的に受け取ったものをポンポン話してしまうタイプなので、Tさんがレイキを教えるのを何度も見てそういう部分を勉強する必要がある、ということを伝えられました。

流産した赤ちゃん、再びこの世に現れる

私がレイキIIを習いたてのときに、赤ちゃんを流産したお母さんが再び妊娠したことを母から聞き、2月10日の犬の日にお祝いに行くことになりました。

電車に乗り、駅についてバスに乗り込もうとしたときのことです。

突然「ボクだよ。」という小さな魂が私の近くにやってきました。

それは昨年遠隔ヒーリングで交信した、流産した赤ちゃんだったのです。

バスに乗ってから瞑想状態に入り、赤ちゃんの魂と話をしました。

それによると、妊娠してお腹に入っているのは昨年流産した赤ちゃん自身であること、流産を通してママの心の大掃除をしたこと、パパがだらしない状態にあるのもママの心の中の問題の現われなのだから、パパを怒るのではなく自分の心の持ち方を変えていってほしいこと、今度は生まれてくるつもりであることなどを話してくれました。

家についてからさっそくその話を彼女にしましたが、その最中も赤ちゃんの魂は部屋の中を飛び回っているようでした。

どうやら妊娠5ヶ月の赤ちゃんの魂は自由に動けるようです。

私が帰り際に洗面所で手を洗っていたら「今日は来てくれてありがとう」と洗面所まで来て挨拶してくれました。

そして夏に男の子の赤ちゃんとしてこの世に姿を現したのです。

一度この世を離れた赤ちゃんが再び戻ってきたことをお知らせできたことは、ママにもおばあちゃんにも喜びをもたらしたようでした。

私もこのような役目を果たせたことは喜びであり、レイキをやっていてよかったと思えた印象深い出来事でした。